錦糸町 眼科 かじわら アイ・ケア・クリニック

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院長のご紹介

合言葉は「安全と安心」

私たちは患者様と共に歩むクリニックです

開業から10年目の2016年、アイ・ケア・クリニックがついに錦糸町駅直結となり、地元の皆様からの信頼に応え、一層広範囲の地域医療に貢献できるようになりました。

目の病気は、充血や目やに・視力低下などの自覚症状の分かりやすい病気もありますが、緑内障や糖尿病性網膜症、高血圧性眼底など、自覚症状が現れずに知らず知らずのうちに進行してしまう恐ろしい病気もあります。眼科医として多くの患者さん達を診てきた経験から、手遅れになる前にできる限り早く病気を発見して治療する事を最重要課題と考えています。そのために、ご自分の目について不安や疑問を持っていらっしゃる方が気軽に診察を受けられる、開かれた明るい眼科診察室を作るためにスタッフ一同頑張っています。

「患者様に寄り添い」「患者様と共に悩み」「一人一人に最善の選択肢を提供する」という私たちの理念のため、スタッフ一同尚一層の努力を続けて参ります。私たちは患者様と共に歩むクリニックです。

ここアルカイーストには私たちの眼科のほか、内科・小児科(清水クリニック)、皮膚科(錦糸町皮膚科スキンケアクリニック)、 歯科(アルカイースト歯科)がそろっており、複数のご病気をお持ちの方が併診したり、その時々で必要に応じたご紹介がで来ます。

また、コンタクトレンズご希望の方には、販売所「クリアビジョン」にて、変わらぬ安全をこれまで以上にお求めやすい安心価格でご提供致します。

クリニック、コンタクトレンズともに、どうぞ下記のLINEにご登録ください。御登録いただくとクリニックの診療カレンダーがLINEで自動配信されるため、カレンダーを取りに来ていただいたり電話でお問い合わせ頂く手間が省けます。又、コンタクトレンズについての最新情報や販売価格のお知らせがお手元に届きます。

院長 梶原 一人

  • コンタクトレンズ
  • クリアビジョンコンタクトレンズ

院長略歴

  • 慶應義塾大学医学部卒業
  • 慶應義塾大学医学部眼科学教室入局
  • 国立東京第二病院勤務
  • 大田原赤十字病院勤務(眼科医長)
  • 慶應義塾大学医学部眼科学教室帰室
  • ハーバード大学医学部留学
  • 博士(医学)慶應義塾大学
  • スタンフォード大学医学部留学
  • 慶應義塾大学医学部特別招聘教員
  • スタンフォード大学医学部(リサーチ・アソシエート)
  • 東京大学医科学研究所化学研究部客員研究員
  • 理化学研究所脳科学総合研究センター(神経再生研究チーム・チームリーダー)
  • (中略)
  • 眼科 かじわら アイ・ケア・クリニック 開設

慶應義塾大学病院医療連携協力医療施設認定証

慶應義塾大学病院医療連携協力医療施設認定証

三井記念病院登録医証

三井記念病院登録医証

各病院と連携関係にあり、特に連携の強い病院は、当院を先方で登録してくれています。特段の便宜を図ってくれることもあります。三井記念病院の関連施設として「日本橋白内障クリニック」「秋葉原アイクリニック」もあり、有名な赤星隆幸先生が白内障の手術をしてくれます。

表彰状

表彰状

研修医を卒業して、眼科部長として赤十字病院に赴任したときに、そこでの活躍を表彰して貰いました。

日本眼科学会評議員会賞

日本眼科学会評議員会賞

毎年数名の研究者が指名されて、研究成果を4年後に発表するという、日本眼科学会評議員会の権威ある賞です。日本の眼科の教授の中でも、指名されることが滅多にない賞です。

生い立ち

医師を目指した思い

私の父は医師であり基礎医学の研究者でもありました。当時の基礎医学者の給料は安く、家は貧乏でお風呂に毎日入ることはできずバケツにお湯を汲んで汚れた足を洗っていたことを覚えています。父は糖尿病を発病、私自身は喘息で毎日のように呼吸困難の発作を起こし、やがて両親は離婚。自分を支える目標が必要だった私は、「人の幸せを引き裂くような病を根絶したい」との思いから医師になることを決意し、慶應義塾大学の医学部に入りました。

眼科臨床医からハーバード大学留学へ

卒業後に眼科医として働き始め、多くの目の病気と向き合っていたのですが、そこで 「不治の目の病」を患う人が多いことに愕然としました。目の病気で苦しむすべての人を助けられるわけではないという無力さを痛感したのです。「治らない」といわれる病気の原因を突き止めて治療法を開発すれば、より多くの患者さんをいっぺんに救うことができるはず。そう思った私は、米ハーバード大学にリサーチフェロー(研究員)として留学しました。

留学後一年半で『ネイチャー』誌、更に『サイエンス』誌へ成果発表

無給の研究員でしたから、生活は日本での貯金を取り崩しての生活で大変苦しかったです。ホームレスに混じって空き缶を拾ったり、当時日本では禁止されていたので経験も全くなかったのに路上で歌を歌ってお金を貰ったこともありました。また人種差別の残る東海岸でしたから、何も知らない日本人が来て煙たがられいじめられることもしばしばありました。

何とか研究室に入ることができてからは、「網膜色素変性症」(遺伝子異常(突然変異)が原因で視野が次第に狭くなり、だんだんと暗いところで眼が見えづらくなって失明する可能性もある有名な目の難病)を研究を開始しました。そしてハーバード留学1年半で、世界的に権威がある英科学誌『ネイチャー』に論文が掲載されました。自分でいうのもなんですが、『ネイチャー』に 論文が掲載されるのは、研究者としてかなり栄誉なことです。「網膜色素変性症の遺伝子治療につながるかもしれない」と意気込んだ私は研究を続け、また 新しい発見について論文を書くと、これも世界的に権威がある米科学誌『サイエンス』 に掲載されたのです。世界中の研究者が論文掲載を夢見る科学誌の両雄『ネイチャー』『サイエンス』 に論文に掲載されたことは、私の大きな励みになりました。『ネイチャー』の論文のお陰で、アメリカの医師でも超難関のハワード・ヒューズ・メディカル・インスティチュートの奨学金を日本人で初めて授与頂き、ようやく生活が安定しました。

ハーバードからスタンフォードへ

しかし、研究を続けていくうちに、わかってきたことがありました。「網膜色素変性症」 の原因となる遺伝子は1つや2つではないということです。 「すべての遺伝子を見つけ出すには、気が遠くなるような年月がかかる」と考えた私は、 別のアプローチから難病の治療に挑もうと、 4年間を過ごしたハーバード大学を去り、今度は米スタンフォード大学で研究を続けることにしたのです。

アカデミックから町場の開業医へ

スタンフォードでは、7年間研究に打ち込みました。こうして世界最高峰の大学校で、計11年間研究を続けた結果、私はある考えに至ります。当時40歳を目前にしていた私は、医師として残された人生には限りがあることを再認識。「目の悩みを抱えて困っている人たち」を救うには、「目の前の人を助ける」という医学の原点に立ち戻って、いま持っている医学的な知識と経験を総動員して、医師として 患者さんに関わるべきだと考え帰国し、2006年東京で眼科クリニックを開業しました。

クリニックの日常〜日本全国から86,000人が受診した駆け込み寺〜

開業当時から患者数はうなぎ登りに増え続け、約15年間で累計86,000人以上の患者さんが来院されました。多い日は1日120人から150人の患者さんが受診され、クリニック前には毎日長い行列ができていましたが、数年前から完全予約制を導入しこの行列は解消されました。今では文字通り北は北海道、南は沖縄石垣島から飛行機で通院されたり、秋田県、島根県、愛媛県、香川県など遠方から定期的に通われたりする患者さんがいらっしゃいます。

何故わざわざ遠方から通うのか?

日本の健康保険医療制度では大勢の患者さんを流れ作業のように短時間で診療しないと経営が成り立たないようにできているため、一人一人を丁寧に診察したり十分な説明を行うことがとても難しく、そのため自分の目の病気について理解できないまま治療を受けていたり、どこに相談しに行ったら良いか分からず困惑している患者さんが沢山いらっしゃいます。梶原はこれを「眼科難民®」と名付け、この「眼科難民®を救済する日本一のクリニックを目指す」をクリニックの理念に掲げています。この理念に共感した患者さんが遠方から労を厭わずやって来られます。

失明原因第一位の「緑内障治療をデザインする®」クリニック

日本の失明原因第1位の緑内障は、長い期間をかけて視野が欠けていき『超慢性』に進行する病気です。根本的な治療法がなく、ただ進行速度を遅らせることしかできません。眼球の圧力(眼圧)を下げることにより光を感じる細胞の寿命を伸ばす事が唯一の治療法で、眼圧を下げるには点眼、内服、レーザー、手術などの手段があります。しかし、重症度や治療に対する反応に個人差が大きく、緑内障患者の数だけ病気の種類があると言っても過言でないほどです。ですから患者さんごとにカスタムメイドの治療法が必要なのですが、一人一人に時間がかけらない日本の医療制度の中では画一的な治療しかできないのが現状です。当院では一人一人の基礎データを綿密に蓄積しながらその人に最適な治療目標を立て、これに沿って治療を進めていくので、何故目薬が変更・追加になるのか、何故レーザーや手術が必要になるのか等が患者側にも医師側にも明確に理解されます。診察室で電卓をたたく眼科医を初めて見たと患者さんに驚かれます。このような完全個別対応の向き合い方を「緑内障治療をデザインする®」と呼んでいますが、これが評判を呼び、梶原の受け持ち患者の実に7割が緑内障です。残りの3分の2ほどが飛蚊症・網膜剥離でレーザーが必要な患者さんです。

院長の日常

一人一人の患者さんに時間をかけて丁寧に対応することは、医師にもスタッフにも大きな負担が掛かります。朝9時過ぎから朝礼が始まり、午前の診療が落ち着くのが午後3時半過ぎ(午後の受付が既に始まっていて切れ目がありません)、梶原のお昼はほとんどミックスナッツ、バナナ、牛乳で済ませることが多く、そのまますぐに緑内障・網膜のレーザー治療から午後の診療が始まり、午後6時に受付を締め切っても患者さんが帰るのは午後9時過ぎになります。そのあと紹介状や返事を書いたり、数日後の検査予定やレーザー治療予定の患者さんのカルテのチェック、クリニック運営の仕事などで、退勤するのは午前2時を過ぎることがしばしばです。這うようにして寝床に入り、翌朝はボーッとした頭でシャワーを浴びてまた新たな1日が始まります。休日は運営やスタッフ教育、コミュニケーションなどのセミナーでほとんどつぶれてしまい残念ながらプライベートはあまりありません。

患者さんとのコミュニケーションにこだわるわけ

米国留学中、原因不明の発熱で3ヶ月近く仕事ができない日々を送ったことがありました。安価な健康保険にしか入れなかった私は、検査もろくにして貰えず、医師からも十分な説明を受けられず、職場ではサボっているように誤解され、肉体的にも精神的にも追い詰められた時期があったのです。既に患者さんを診療することなく10年ほど研究生活を続けていた私は、医師の立場ではなく一人の「患者の立場」で医療を観ることができました。毎日熱にうなされながら、小児喘息で苦しんだ日々、両親の離婚、失明を救えなかった患者さんたちのこと、などが走馬燈のように浮かんでは消えました。1人の患者が背負っているもの、病気、不安、生活、家族、同僚....それら全てを医師が何とか出来るものではないにせよ、患者さんが背負っている重荷を一つでも降ろして楽になることができるようにサポートすること。それには患者さんとのコミュニケーションを通じてラポール(心の絆)を築くことが何より大切だと痛感しました。自分がして欲しかったことを、目の前の患者さんにしてあげたい、そんな気持ちで毎日患者さんと向き合っています。

紹介動画

診療への想い インタビュー

目次

~「眼科難民」のための医療サービス~

朝から診察を待つ患者さんが多いですね。
診療は10時半からなのですが、10時に配る整理券を求めて8時頃から並んでくださる方もいます。お待たせしてしまって申し訳ないのですが、時間をかけて丁寧に問診するのが当院のポリシーです。質の高い診療を提供するだけでなく、患者さんと共に悩み、寄り添う医療をめざしています。一時間で診ることができる患者数は限られますが、その分納得してもらうまでしっかりと病状や治療方針の説明をしています。長時間お待たせすることもあるので、スタッフの接遇には特に気を遣っています。印象の悪い受付だと通う気にならないですから、「ここに来て良かった」と思ってもらえるよう、笑顔で迎えて笑顔で見送るように徹底しています。そして、まだ新患のみですがウェブ予約も開始しました。少しでも患者さんの負担を軽減できればと考えています。
クリニックの特徴を教えてください。
まず、検査・治療機器は先進のものをそろえ、医療レベルも高い水準を保つよう努めています。そしてスタッフが笑顔で優しいことですね。診療の仕方は眼底を診るため患者さんを寝かせた状態で診察していることでしょうか。慶應義塾大学病院でこの方法を採用していたのですが、寝ているほうが眼の端まで確認しやすく、網膜剥離の原因となる隠れた網膜病変を見つけやすいです。私にとっては違和感はないですが、患者さんにとっては新鮮なようですね。それから、コンタクトレンズは普通のクリニックでは置いていないような遠近両用タイプや乱視に対応したものまで豊富にそろえています。中高年の患者さんが多いので、その年代のニーズに応えるため数多くを取り扱うようにしました。患者さんからも好評をいただいていますね。
どんな患者さんが来院されますか?
働き盛りの年代から高齢者の方が多いですね。疾患としては、網膜剥離や糖尿病性網膜症、緑内障の方、人間ドックで要精査になった方が圧倒的に多いです。当院に来る方は診療に対する意識が高く、ちゃんと診て説明してくれる眼科を求めて「眼科難民」になっていた方も少なくありません。ちらっと診て終わり、という診療では患者さんは納得できません。不安な症状があるから病院に来たのに、「大丈夫です」と言われただけで納得する人はいませんから、初診の患者さんには特に時間をかけて、心を開いてもらうまで関係性を築くよう心がけています。患者さんの声をまとめたファイルを作っているのですが、「病気や症状をきちんと説明してくれるクリニックを求めて来た」、「よく話を聞いてもらって不安が解消された」という声を多くいただいていますね。

~留学を経て「病気を治す」という原点へ~

なぜ医業へ進まれたのですか?
医師になろうと思ったのは高校の頃で、父が外科医でしたので、仕事の話をたまに聞いていた影響もあるかと思います。医師になれと言われたことは一度もなかったのですが、父のように人に喜んでもらえる仕事に魅力を感じ、医師を志すようになりました。眼科を選んだのは顕微鏡下で細かい手術をすることに興味を持ったからです。大学や国立病院・赤十字病院にいた頃は多くの手術数をこなしていました。手術というのは、日々回数を重ねることでベストなパフォーマンスを維持できるものです。今は環境が違うので、手術は毎日多くの症例を扱っている先生に任せ、術前術後はしっかりと当院で診るスタイルにしています。そういった他の医師との連携も大切にしています。
アメリカへ留学もされていますね。
ハーバード大学やスタンフォード大学の医学部で研究していました。私は医師になった当初から「病気を根本的に治す」ことを目標としていて、研究で病気の原因を解明できれば、さまざまな課題を解決できると考えたのです。ハーバード大では難病である「網膜色素変性症」の治療法を探るため、遺伝子診断の研究に取り組みました。さらに実践的な治療に近づきたくて、スタンフォード大では再生医療について研究しましたが、学べば学ぶほど自分が生きているうちに治療法を確立するのは難しいと悟ってしまって。だったら目の前にいる一人ひとりの患者さんを治す方を選び、原点に戻って日本で開業することを決意しました。
診療理念を築く上で影響を受けた人はいますか?
日本にいる時に直接指導を受けた、秋山健一先生という大先輩には多大な影響を受けました。眼科の百科事典のような全集をすべて精読されていて、知識レベルが際立って凄かったというのもありますが、何より人格が素晴らしい方でした。手術、説明の仕方、患者さんへの声のかけ方、すべてが丁寧で誠実でした。今、私が問診に時間をかけているのも、患者さんの気持ちに寄り添うことを一番大切にしているのも、秋山先生のご指導の賜物です。先生に言われたことで忘れられないのは「治療方針で迷った時は、これが自分の親だったらどうするかを考える。その基準で判断すればまず間違いはおかさない」という教えです。それが「患者さんの親身になる」という今のクリニックの理念につながっていると思います。

~揺るぎないチームワークで一人ひとりの患者に寄り添う~

クリニックのスタッフの方々がやさしいと評判ですね。
クリニックを運営する上で一番大切なのはスタッフです。私も病気をしたり、父母を病院に連れて行ったりした経験がありますが、そんな時にスタッフに邪険にされると本当にやるせない気持ちになります。ですから、開院前からスタッフ教育には特に力を入れてきました。接遇面の指導は当然ですが、「患者さんに寄り添う」という理念を共有するため、常に私の思いを直接伝えることを心がけています。今いるスタッフたちは誠実で温かい人ばかりです。患者さんもスタッフと話すのを楽しみに通院しているという方がいるくらいです。コミュニケーションを取る中で、前回の診療後の経過や目薬の残量など大事な情報を聞き出し、より適切な治療につなげたりもしてくれています。スタッフのスキルと判断力・人間力を高めることが、結果的には一番患者さんのためになると考えています。
具体的にはどんなことをしているのでしょうか?
医療の現場なので、安心・安全を高めることが第一です。ミスがあった時には原因を究明し、再発防止を徹底的に行います。仮に慌てていて失敗した時でも、忙しくてもミスをしない方法を考えなければなりません。失敗から学べる環境をつくるには、何よりチームワークが大切です。そのため定期的にスタッフを集めてミーティングを開き、チームが同じ方向をめざして進んでいくにはどうすればよいか議論しています。子育て中の人や定年退職した高齢者、身体障害者のスタッフもいますが、何か不自由な状況があってもチームワークがあれば十分にカバーできますし、お互いに感謝する気持ちがあればトラブルも起きません。厳しいことも多い職場ですが、それでも続けられるのは信頼関係があってのことでしょう。私も日米で数多くの現場を経験しましたが、今ほどスタッフと一体感をもって働けている職場はありませんでした。
患者さんへ向けてメッセージをお願いします。
一番お伝えしたいのは、「最後まで責任をもって診る」ということです。眼科の病気には一生付き合っていかなければならないものもあります。中には完治することがない病気もあり、それでもここに通い続けて良かったと思っていただける治療を提供したいと考えています。「医療は究極のサービス業」というのが、私のモットーですから、お忙しい中、当院に来てくださる患者さんの期待に応えなければなりません。アフターケアには特に気を遣っていて、遠方へ引っ越される人には丁寧な紹介状を書いて渡したりもしています。「やっぱりここがいい」と言ってまた戻ってこられる人も少なからずいますが(笑)。今後も患者さんがどうしたいかを第一に考え、スタッフとともに取り組んでいきます。
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